みなさん、おはようございます!
新しい1週間が始まりましたね~
あっという間に9月も中旬ですね。
さて、最近は食べ物ネタの投稿が多かったのですが、今日は違うことを書きます。
私自身の過去の経験と言うか、母の教育方針から私が学んだことについてです。
私が子供の頃の母のイメージは、「厳しい人」でした。
私には兄と弟がいます。
私の思い込みもあるかも知れませんが、とりわけ私には厳しかったように思います。
箸の上げ下ろしから始まり、言葉使い、生活習慣なんかは良く注意されました。
手前味噌ですが、母はとにかく優秀な人でした。
大人になってから、偶然にも、母と小中の時につるんでいたという方が私の生徒さんとして私の前に現れたんです。
その方は母の事を「とにかく何をやらせてもすごくできる人だった」と言われていました。
また「人が一をやっていたら○○ちゃんは三くらいできていた」とか。
中学校では、成績は学年で1位、生徒会長もしていたそうです。
母が亡くなってからですが、母の実家に行った時に昔の通信簿を祖母から見せてもらったことがあります。
母のお友達の言うことを裏付けるように、オール5でした💦
さて、そんな母から言われて私は子供の頃に習い事をしていました。
ピアノ、書道、水泳は記憶にありますが、他にもしていたかも知れません。
なにせかなり前の事なのではっきり記憶していませんね。
ピアノは、3歳ころ突然、教室の人が私を迎えに来て習いにいくことになりました。
理由はよく分からないですが、母が嫁入り道具でピアノを持って来てピアノが家にあったからかも知れません。
書道は小学校4年生くらいから母に言われて習いに行きました。
字はきれいに書けないとみっともないから、習いに行きなさいと言われました。
さて、これらの習い事ですが、高校受験の前までピアノは14年、書道は7年ほど続けました。
その間、ピアノの練習をしても上手く弾けなかったり、教室に行くのが面倒で何度もやめたいと思ったものです。
私はたまに、母に「もうやめたい」と弱音を吐いていたのですが、母はやめてはいけないとは決して言いませんでした。
いつも「自分でよく考えて決めなさい」と言いました。
その結果、結局やめずに続けました。
また、小学校の頃は母から勉強をみてもらっていました。
私は算数が嫌いで苦手でした。
特に、応用問題の文章問題ができないことが多かったんですね。
それも母にみてもらっていたわけですが、その時の母がとにかく厳しかったです。
問題がなかなか解けないと引っ叩かれましたね💦
私は引っ叩かれ、泣きながら問題を解いたものです。
その時に母が言っていたことを今でも覚えています。
「できないんじゃなくて、問題をよく読んでいないだけ」
「問題を声に出して理解しながら読みなさい」
「問題を読んで分かったことを絵でも図でもいいから自分で書いてみなさい」
こんなことを言われながら、母からちょっとしたヒントももらいつつ少しずつ問題を解きました。
問題が何とか解けると母は言いました。
「ほら、できないわけじゃないでしょ?ちゃんと問題を読めばできる」
「できない、わからないと思うからできないだけ」
「よくできたね」
母は、私に答えを教えることは決してしなかったです。
こんなすごく昔のことを母が亡くなってからふとした時に思い出すことがあります。
母が亡くなって先月の20日で10年を迎えました。
ここで書いたことも、先月ふと思いだしたんです。
このことを思い出した時に、ふと気づいたんですね。
母が私に習い事をさせたのは
続けることの大切さを学ばせるため
できないことをできるようになるためには、まずは粘り強く続けることが大事ですよね。
そもそも続けることができなければ、結果が出ないってことが世の中には多いと思います。
そして
母が答えを教えてくれなかったのは
自分の頭で考えることをさせるため
何でもすぐに答えを教えてもらっては、自分で考えることをしなくなってしまい人や何かに依存しないといけなくなります。
母が、私に習い事をさせることで気づかせたかったであろうこのふたつは、今私がこうして生きていて日々大事だと思っていることです。
私は、子供の頃に続ける習慣を身に付け、結果は直ぐには出ないと学んだことで、英語や韓国語の習得ができました。
そして、継続することをさほど苦がなくすることができます。
また、自分の頭で考える習慣もつけたことで、自分軸を保てるようになりました。
今は、グーグル検索すればすぐに答えが出ますが、それらの答えとか情報は必ずしも正しいものばかりではないですよね。
自分なりの考えを持たず、初めから外的な情報ばかり鵜呑みにしたり、多くの情報に振り回されると自分軸がなくなってしまいます。
とは言え、母の教育の意図を生前に母に直接訊いたわけではなく、あくまでも私の推測でしかないです。
ですが、万が一、母がそういう意図ではなかったにせよ、母の私に対する教育方針を通し、私なりに生きていく上で大事なことを子供のうちに学ぶことができました。
厳しかった母ですが、今となれば感謝です!